2010年3月14日日曜日

厚木ゴスペルとカリスマの集い

 厚木聖会がありました。約20人の方が参加しました。

 前半のゴスペルコンサートでは、厚木リバイバルチームが「ラッパの音とともに」、I兄弟が「花」をバイオリンを引きながら賛美、そして、エウカリスティアスが「詩篇121編」などやすらぎの9集から3曲賛美をしていただき、みき子姉妹が自身の作曲した、「主の道」「この方こそ」を賛美し、最後に出演者全員で「大きな愛」を賛美しました。
 参加された方の中には、何人も涙を流された方がおられました。

 






また、カリスマ聖会では、モーセ小野島牧師の預言のセミナーがいよいよ最終章を向え、預言の働きが個人の人生や教会の働きにおいて、非常に重要であることが語られ、また、東京アンテオケ教会のパウロ秋元牧師から預言で語られたことが次々と成就されたことが、具体的に語られたました。


 また、賛美の後のモーセ牧師のショートメッセージでピリピ書4章から問題を神のところに持っていくことにより、平安がえられること、また、パウロ牧師はローマ書10章から、信仰の対応をすることにより、主のわざを見ることが語られました。

 参加者は、ミニストリーで個人的な祈りを受けていました。そして、今回の厚木聖会では参加者の中からイエスキリストを救い主と信じる信仰告白をされた方がいらっしゃいました。聖会にお誘いしたかたは「25年間の祈りが成就しました」と泣いておられました。主に感謝します。

主のわざは完全です。
 
 

春が来たのでしょう

 久しぶりに上天気で、気温もあがりました。家の窓を開け外の庭をみると、椿が咲いていました。

 知らない間に春が近づいていました。
いつから春になるのか、冬と春の境目は一体いつなのか誰も知れません。
しかし、春は着実にやってきます。人がそれに気が付かないのですね。

 神が私たちに与えてくださる恵みも、気が付かないことが多いのです。ラッキーといったりしていますが、神の恵みなのです。
神の恵みをもっと受けたい人は、信仰の対応をしなければなりません。それは、主に祈ることです。

 何んでも祈ってよいのです。御心の祈りであれば主がわざをなされます。
しかし、祈らなければ主のわざが顕著には現れないところを見ると、主は、私たちの心を見ておられるとしか、思えませんね。

祈ってみてください。御心の祈りは主に聞かれますよ。

雪のロール

雪が降った日に、車にヘンなものがあるのに気が付きました。主のなさることに偶然はありませんから、おどろいて、ジッとみると、それは、雪のロールでした。

何がどの様になったらこうなるのか、イメージが付きません。出勤しなければなりませんので、とりあえず写真にとってあとで、研究することにしました。

しかし、身近なことではありますが、人間の想像を超えた神の働きを感じました。人間なんて、知らないことが多いですね。

まさしく「主を恐れることは知識の初めである」です(箴言1:7)

2010年3月7日日曜日

日韓クロスカルチャーバイブル講座に参加して

 日本から尾山先生、韓国からハヨンジュ牧師が講師となられ、山上の垂訓からお二人のお話がありました。沢山の方々が高田馬場に集まりました。

 尾山先生は聖書学者ですから、聖書を正確に解説してくださいました。 今まで理解していなかったことが分かりました。聖書の御言葉を正確に知ることは、御心を深く知ることなんだと思わされました。私たちの必要は、神様にお願いする前に、神様はすでにご存知です。

 ですから、祈りは、賛美であり、御言葉を聞くことであり、本心を注ぎだすことであると語られました。

 また、ハヨンジュ牧師は、安息日が大事なのではなく、主の安息に入ることを話されました。神の律法は正しいのですが、パリサイ派のような律法主義はいけません。しかし、教会が律法主義に陥っている現実があります。今日のキリスト教は、宗教になってしまっている。

 愛するため、赦しあうために集まっているのに、教会の中で人が争っている。まるで、教会にイエスとキリストがいるようです。教会に来ない人は、イエスを信じているのですが、イエスを信じている人が嫌で教会に来ないのです。牧師は、その説教のゆえに、説教に従って牧師を教会から追い出すこともあります。生きた神の御言葉を伝えていないのではないか。

 教会の中で競ったり、教会同士で争ったりしていませんか。メッセージを聞けば聞くほど信徒が変わっていかなければならない。

 イエスのみことばの中にある真理、いのちがだいじなのですと話されました。神様が与えてくださたものではなく、神が大事なのですと語られました。本当にアーメンだと思わされました。
カンサハムニダ!

2010年3月6日土曜日

冬の白馬キャンプ

 2月はとても忙しい月でした。殉教聖会、賛美大会予選会、神学校テスト、カンボジア孤児院、そして、冬の白馬キャンプですね。プラス、結婚式もありました。Wさんおめでとうございます。

 今年は、冬の白馬キャンプに教会から3人参加しました。88歳のFさんと77歳のIさん、そして、若いみき子さんですね。モーセ牧師は参加できませんでした。残念ですね。
 参加した皆さんは、雪が見られ、温泉にはいり、バイキングを食べて、太られたとのことです。感謝でした。道路には雪がなく比較的雪が少なかったようですね。

 さて、賜物は神様がクリスチャン一人ひとりに与えてくれた贈り物です。イエス様が昇天され、聖霊様が私たちの助け主として与えられ、私たちはイエス様のみからだの一部として賜物を用いていくのですね。聖書に書いてあります。冬の白馬キャンプは、この賜物の訓練が目的です。

 私には賜物はないという人もいらっしゃるかもしれませんが、それは、私は泳げないといっているのと同じなのです。泳げなくても生きて生けます。
 しかし、泳げることにより世界が広がります。また、特別泳ぎが上手な人もいますね。しかし、練習しなければ上手にはなりません。

 神様のこともそうです。神の恵みはありますが、信じる信仰と同じように、賜物も求めなければ与えられない面があります。求めることは神の御心です。賜物は、信仰を広げます。神との交わりという霊的な側面を深めるものです。

 ですから、神を愛し、神が与えてくださった賜物を用いていくのです。最初は上手ではないでしょうが、やること、やり続けることにより上達するのですね。
 賜物は聖書的に用いて行くことがポントです。聖書から離れてはいけません。従って、教会の管理の下に、吟味をしながら用いていきましょう。

3年目の歩み

 厚木教会のSさんが2月に「教会に来てまる2年が経ちました」と言っていました。

今は、礼拝の司会をしています。Sさんは、本当に明るく人を励ます賜物をもっています。動物が大好きで、いつモ明るく、お孫さんから「ばーば」と呼ばれています。そして、大変なことがあっても、いつも主に感謝しています。

 娘さんもイエス様を信じられ、お父さんも洗礼を受けられました。主が沢山の恵みを持って導かれています。

 3年目の歩みを記念して、教会の皆さんで写真を撮りました。Wサインでお祝いしました。感謝します。

礎の石カンボジア孤児院

 NPO礎の石孤児院の理事に就任してから、初めてカンボジア孤児院に行ってきました。
今回の訪問は、会社設立、新孤児院の候補地の視察、日曜礼拝と盛りだくさんの派遣となりました。そして、とりなしの祈りのすごさも感じました。

 やはり、御心が大きいのか、忙しくて床屋に行く暇もありませんでした。また、ビザの写真もとらなければならなのにその暇もありません。ところが、感謝していると昼休みの時間にすべて済ませることができました。これはとりなしの祈りのほかはありません。出発前から御心を感じました。

 カンボジアは、真夏でした。
 最初に会社設立について弁護士と話しました。聞きたいところを丁寧に答えてくれましたが、比較的簡単に会社設立ができるので驚きました。

 また、弁護士の紹介で土地も見ることができました。比較的プノンペンの中心に近く道路などインフラの整っているところでは、1㎡180ドルから200ドルしました。ある程度広い土地となると、数億円となってしまいます。
 他の候補地で導かれたのは、道路などのインフラがこれからの土地でしたが、1㎡が3分の1程度の値段の土地がありました。以前、候補地を捜していた時に光輪が出たところの近くで、目の前が聖書学校でした、。ご近所としては頼もしい限りの場所でしたので、御心かなと思わされました。

 今回は、孤児院で初めて日曜礼拝を行いました。神様に守られている子ども達の礼拝です。みんなで大きな愛を賛美し、礼拝しました。さらに、子ども達の信仰の成長と、スタッフの霊的な守りを祈りました。
 

 

また、D君が、通っている学校で選ばれてシンガポールに1週間行くことになりました。これは、孤児院ではじめてのことです。主の恵みに感謝します。

 このように、大きな主の祝福の下に帰国することができました。感謝します。
皆様のとりなしの祈りをありがとうございました。 
 

白馬賛美大会関東予選会

 ことしも白馬賛美大会予選会がありました。この時期は、色々スケジュールがタイトで大変です。しかし、厚木教会も賛美大会に参加しました。「白馬にいくことになったらどうしよう」と心配するSさんの声がありましたが、その時は主の御心にしたがっていきましょうとみんなで練習しました。

今回は、みき子さんの都合で、出場が3番目から20番代(本命組み)にジャンピングアップしました。いよいよ厚木教会も本格的な歩みになりました。これに実力がともなえば、白馬常連チームとなるでしょう。信仰の歩みを続けたいと思います。

 なお、結果は残念でしたが、次回以降の楽しみとなりました。しかし、着実に実力が上がっていると自覚しています。
感謝しまっす。

日本26聖人長崎殉教聖会

 今年も2月5日長崎殉教記念聖会に行きました。 

1597年2月5日は、日本で初めての殉教が起こりました。400年以上前のことです。豊臣秀吉が24人のクリスチャンを大阪・京都で捉え、ひと月以上かけて長崎まで連れて行き、西坂という岡の上で十字架につけて処刑しました。その時処刑された人は遂行者も加わり26人となりました。

 彼らは日本26聖人と呼ばれています。この後、日本は鎖国に入り、クリスチャンは大迫害がおこり、クリスチャンだというだけで殺されました。その数は、30万人ともそれ以上とも言われています。日本人が日本人を殺したのです。 このことは、多くの日本人は知りません。
 日本史では歴史上は、海外からの植民地になることを恐れ、鎖国を行い、キリスト教を禁止したと教わっているだけです。私たちは、歴史の真実から遠ざけられてきたことを痛感します。アジアの国のことは、中国のこと以外、韓国も含めてほとんど何も知らされていないのです。自分達はそうは思っていなくても、真実を知らないことが国と国との隔ての壁を高くしていることもあります。

 日本のキリスト教の歴史は、豊臣秀吉から第二次世界大戦終戦まで、迫害と弾圧の歴史です。そうした歴史の中にあったからこそ、私たちは殉教者の涙の祈りを忘れることはできません。ローマ帝国をはじめ、迫害のあった多くの国が迫害・殉教の上に解放されてきた歴史があります。

 やがて、日本も神の時がやってきます。いま、日本のあちこちのクリスチャンが活躍しています。財界、政界をはじめ、あらゆる分野で著名な方々が第一線で活躍しています。そうした方々は実はクリスチャンなのですね。神の愛を土台として働かれている方々が更に表舞台に現れてくることでしょう。
  
 私たちの人生は、それぞれ神の計画のうちを歩んでいますが、イエス様の十字架と共に歩む歩みなのです。長崎の26聖人殉教記念聖会は、現代に生きる私たちクリスチャンの歩みを確かなものにしてくれるものとなっています。