2011年12月27日火曜日

「喜び、感謝、祈り聞き従いで、リバイバル」 厚木カリスマ聖会



厚木カリスマ聖会&ゴスペルコンサートが開かれました。

ゴスペルコンサートには、特別ゲストでラスポーザの方が来てくださいました。
また、ギターの池田さんも参加してくださいました。

まずは、いつものように、
厚木ゴスペルがやすらぎの歌から「すべての日々に」を賛美し
石垣兄弟が「永遠の愛」をバイオリンで演奏し
M兄が「門よお前達の頭をあげよ」を振り付け入りで賛美し
詠美姉が「救い主イエス」を聖歌から賛美してくれました。

パウロ牧師には、やすらぎは一日中CDを聞いていますといっていました。
ラスポーザは「十字架に主イエス」を賛美してくださいました。

預言のセミナーは,モーセ牧師が、「御声に聞き従う二章」を用いてセミナーを行い。

パウロ牧師は「黙示録20:1-2」から、
患難時代、千年王国までの話をしてくださいました。

カリスマ聖会では、
特別賛美でラスポーザが賛美し
ショートメッセージではモーセ牧師が第二歴代誌20:22から
喜びと賛美で圧倒的な勝利について話されました。
また、パウロ牧師は、ヨハネの福音書21:5-6から、
弟子達がイエスのいわれたとおり網を下ろすと大漁の魚がとれた
所を中心に、聞き従う事の恵みを話されました。

毎回たのしいカリスマ聖会です。

神のことばに聞き従い、リバイバルの備えをしていくことが
必要ですね。

感謝します。


証し 乳ガンのいやし

【H姉のお友達のいやしの証し】
H伝道師が先日、
一つの時が満ちたと語られたそうです。

何のことだろうかと思ったのですが、
何度も試みにあっているので、そのことかと考えました。
確かに、信仰の旅路には時を待つ訓練が必要ですから、
感謝していました。

すると、連絡が来ました。
前の教会で一緒だった方からの電話でした。

「Hさん、乳がんが治ったのよ」とのことでした。
祈りと信仰でいやされたとのことでした。
2年前にあった乳がんの影が完全になくなったそうです。
主がいやして下さいました。


天では祈りはかなえられているのですが、
具体的に現れる時があるのだと思いました。

すべての事が神の訓練です。
ローマ15:4にあるように、
聖書に書かれていることは、教えるために書かれたので、
忍耐と励ましによって、希望をもたせるためです。

主は医療を用い、祈りを用いていやしのわざをなされます。
主に感謝します。

賛美の力

教会の礼拝の後には、賛美の練習をします。
M兄が「賛美の練習、練習。練習しよう。時間が無いから」
と言って、いつもリードしてくれます。

M兄は本当に忠実です。
みんなM兄の忠実さに励まされて一生懸命練習します。

みき子姉もM兄に引っ張られています。

ただ、M兄も呼吸法は苦手で、「できないよ」と言いながら
楽しそうに頑張っています。

S本姉も張り切っています。
ダンスもやりたいと言っています。

賛美には力があります。
主が住まうからですね。

みんな白馬賛美大会に向け頑張ろう。

証し S兄のあごの手術

礼拝後の食事会
S兄があごの手術をしました。
教会でも、祈りのネットワークで連絡し、皆で祈りました。

①神様がお医者さんを用いてくださり、あごが完全にいやされますように
②手術が成功して、医療事故がおこりませんように、
③手術が短時間ですみますように
④必要な場所が治療されますように
⑤手術中、主に守られ平安でいられますように
⑥後遺症などがおこりませんように
⑦完全に癒されたの病気になりませんように
⑧入院期間も短くてすみますように
⑨医療費も少なくてすみますように

などを祈りの課題としました。

【S姉の証し】
皆様の祈りをありがとうございました。

手術は全身麻酔でした。
あごの手術は無事に成功しましたが、あごだけではなく、
歯も先生がついでに抜いてくださいました。
奥歯が舌にあたり、潰瘍になるかもしれないので
奥歯もついでに抜いてくださったのだそうです。

本人はすごく元気で、昨日見舞いにいったら
服を着て外出しようとしていました。
顔がむくんでいるので、むくみがとれたら
教会に来るように勧めます。
お祈り感謝します。

2011年12月14日水曜日

証し H姉とマーリンさんの感謝との出会い

何年か前、ロサンゼルスに住むことになりました。
それまでの生活とは異なり、高速をぶっとばして子ども達の学校に送り迎えするようにな


H伝道師

ました。
私は、これといった知り合いも無く、毎日の生活が英語づけになり、片言の英語で買い物するなど新しい生活にがんばっていました。

しばらくして、私のような外国人のための英会話のアダルトスクールに入りました。
すると、そこでお金を数えるのが趣味の中国人の婦人に会ったのです。

ある時、英会話の練習で「わたしはクリスチャンだ」といったところ、
その中国人の知り合いの中国人牧師さんの奥さんが日本人だということがわかりました。
そして、電話番号を教えてほしいと言われ教えました。

しばらくすると、中国人牧師夫人のみつこさんから、連絡があり
みつこさんのお宅の家庭集会の参加するようになりました。

その時、「讃美の力」というマーリンキャロザースさんが書かれた本を教えてく
れました。
本を読むと、その本には全てのことについて感謝することが書かれていました。

信仰歴5年の私でした。
しかし、私には腰の病があり、台所に立っても腰が痛くて困っているのに
何で感謝するのか、さっぱり分かりませんでした。
しかし、「気持ちとは程遠いですが、このことを感謝します」と感謝しました。

1月後、主人の大学のOB会の集まりがありました。
その時、主人がカイロプラクティックの話を聞いてきて教えてくれました。

カイロプラクティックは、日本では健康保険対象外ですが、アメリカでは保健の対象となり1回8ドルほどですみました。
そして、治療は、今から思うとグレンデール(橋本牧師のいた場所)で行なわれ、高速をぶっとばして4年間通いました。

1984年にマーリンさんの本に出会い感謝と讃美を実践していなければ
カイロプラクティックの治療はなく、
骨盤が3cm ずれてもどらなくて、背骨も右側にゆがんでいますが、
今頃は、きっと歩けなくなっていたでしょう。

感謝と讃美に感謝しています。

2011年12月10日土曜日

証し 賛美をとおして主をたたえます

主人が亡くなり2年が経ちました。

本を読もことも、テレビを見ることできなくなりました。
しかし、聖書だけは読むことができました。

主は、私の主人にヨシュアという名を与えてくださいました。
神に仕える人の名前です。
なのに、どうして主は主人を召したのでしょうか。
主人がいなくなって、一人ぽっちの寂しさが、私を苦しめました。

2年経ち、今はすべて主に明け渡して、
主のいうとおり生きていこうと思います。

やすらぎの歌の「桜」を賛美すると
主と主人と一緒にいるように思います。

賛美をとおして神をほめたたえていきたいと思います。

2011年12月5日月曜日

国会クリスマス晩餐会2011

A姉の紹介で、国会クリスマス晩餐会に行ってきました。
国会だけあって、国会議員の方が沢山参加されていたようです。

国会議員の方々でバンドが組まれていて、”ギインズ”という名前でした。
ご自分のお子さんを思いつくられたオリジナルソングを歌われていました。
それから、サザンオールスターズの歌を演奏してくださいました。

そして、自民党の石破議員が、挨拶をされました。4代目のクリスチャンだそうです?
誰も自分をクリスチャンだと思っていないと言っておられました。

社民党の福島瑞穂議員も来られ、すぐ帰られました。
原発反対の関係でアメリカに雑誌の取材を受けに行くのだそうです。

駐日イスラエル大使のニシム・ベンシトリットさんも挨拶をされました。イエス様はユダヤ人だと言っていました。

私たちの国籍はイエス様のおられる天国にあるのです。

                    

いつもの、名刺交換の晩餐会だなあと思っていたら、
ベアンテ・ボーマンさんとルリ子夫人が演奏をしてくださいました。
「鳥の歌」がとても感動的でした。
パウ・カザルスさんの編曲でカタルーニャ地方のクリスマスキャロルで
イエス様の聖誕を鳥が祝って歌っているのだそうです。
鳥達は「Peace」とさえずっている様子が演奏されました。

                    そして、ボーマンさんは、私たちの罪とイエスキリストの十字架の
                    伝道メッセージをされました。
それだけではありません。信仰の招きもされました。

御心を行う時、聖霊が働くのです。

会場が聖霊で満たされ、イエスキリストを信じる祈りを全員でささげました。



今日きてよかったなと本当に思いました。

時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えることは重要です。

国会クリスマス晩餐会の初めての経験でした。
  
感謝します。


2011年12月1日木曜日

K姉の召天式の証し

先日K姉の召天式がありました。

そして、息子さんのS兄が礼拝で召天式の証しをしてくださいました。

S姉は、東京聖書学院で学ばれ、牧師である御主人と30年以上牧会をされていました。
イエス様に忠実に仕え、自分に厳しく、信徒の様子に常に気を配っていた方でした。
みき子姉妹のお父さんの洗礼式の時も、お父さんに色々話しかけてくださっていたそうです。

K姉は、2001年に肺ガンが発見され、2004年には余命1年とお医者様に宣告されました。
普通は、ここでジ・エンドです。

しかし、ここから、神様の7年間の祝福が始まったのです。

2011.3白馬

K姉は、ガンで余命1年といわれていましたが、元気で、毎年のようにイスラエルに行き、ガリラヤ湖で祈られ、毎年のようにロサンゼルスのマーリンキャロラーズさんのセミナーに行かれ、毎年のように白馬キャンプに参加されました。

今年も、夏の白馬キャンプに参加され、83歳で天に召されるその週の日曜礼拝にも車で約1時間半かけて参加されていました。
その御様子は、教会の多くの人に励まを与えてくだり、証し人として最後まで神に仕えておられました。


ヨハネの福音書に、イエス様がラザロの死について「この病気は死で終わるだけものではなく、神の栄光のためのものです」と語られました。
私たちの召天は、神の栄光のためなのです・

ロサンゼルスで留学中の孫さんのS子ちゃんが、おばあちゃんのK姉が天に召されるときは、絶対そばにいたいと祈っていたそうです。アメリカと日本と遠く離れているので、インターネットのスカイプで、顔を見ながらいつもお話をしていたそうです。
そして、召天される時は、お孫さんのSちゃんの賛美を聞いたあとだったのだそうです。

神様はK姉をとても愛してくださいました。
K姉は不治の病の方に多くの励ましを与えてくださったと共に、

2011.3白馬

信仰の模範でもありました。

クリスチャンには天の希望があります。
K姉は、また会う日まで、イエス様のお傍で私たちのとりなしの祈りをしていてくだいます。

主に栄光あれ。











2011年11月30日水曜日

H姉妹の証し 救われたおまわりさん

教会では日曜礼拝の時に、証しの時をもっています。
今週はH姉が証してくださいました。

H姉妹は、驚くばかりの伝道の賜物をもっている方です。

電車にのっていても、すぐに隣の人と話をして、仲良くなると「イエス様を信じませんか、イエス様はあなたの罪の身代わりになって死なれたのです。イエス様を信じると永遠のいのちを受けることができます」と伝道するのです。
「時が良くても悪くても福音を宣べ伝えなさい」という神の言葉を守っておられます。
ですから、 あらゆる機会をとらえて、伝道します。
H姉が先日、実家に出かけられたとき、久しぶりに腹違いのお姉さんを尋ねてみようと思ったそうです。、何年もあっていないし、実のお母さんのことで、仲たがいしたので気になっていたのでした。
しかし、家の住所が良く分からなかったので、おまわりさんに聞こうと交番にいったのだそうです。
すると、そのおまわりさんが、電話をかけていいといって電話をかしてくださったのだそうです。

H姉は、お姉さんに電話をしました。すると、お姉さんが驚いて、当時のことを話し始めて、辛かった思いをH姉に話し始めたのだそうです。その内容から、お姉さんが思いもよらなかった心の傷をもっていることがわかりました。お姉さんの話は長く、H姉は交番の電話を使っているのにと心配になったそうですが、とうとう2時間も、交番の電話で話してしまったのでした。

親切なおまわりさんに悪いなという思いがあり、H姉は御自分の両親の結婚と子ども達の話、自分の立場などを説明したそうです。
すると、親切なおまわりさんは、自分の産みのお母さんと育てのお母さんが違う事を話され始めたのだそうです。
その育てのお母さんは、親切なおまわりさんを育てるために自分の子どもは産まなかったことを話されました。

その時、H姉は、親切なおまわりさんに福音を伝えたところ、親切なおまわりさんはイエス様を信じて、信仰の告白をされました。

プレイ ザ ロード 主をほめたたえます。


2011年11月24日木曜日

八ッ場ダムを見ました。

八ッ場ダム(やんばダム)は利根川の支流の吾妻川の長野原町に建設が進められているダムです。

国が建設を中止しようとしていましたが、関東一都六県の知事が反対していました。

その、ダムを建設地を見ました。



十字架のような橋がかかっていました。

地元の人の話では、いまさら中止は困るとの声が多いとのことでした。

温泉地もあり、渓谷は紅葉がきれいでした。


2011年11月23日水曜日

とても暖かな聖日でした。

雲が、夏の雲のようでふわふわした雲となっています。

 季節は冬になってきたと言うのに、この暑さは気持ちが悪くなります。

  天候の急変は、体調管理が難しくなります。

  自然とケンカはできませんが、私たちには祈りがあります。

  日ごろから祈っているのといないのでは、全く違います。

  

イエスキリストの十字架は、魂の救いと、病のいやしがあります。
 
イエスキリストを信じる者は病のいやしを祈ることができます。


   「祈りを用いて、健康管理を行ないましょう」

                    主の十字架クリニック院長イエスキリストより

    イザヤ書53章5節

     「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され

      私たちの咎のために砕かれた。

      彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし

      彼のうち傷によって、私たちはいやされた」
               

叫びの証

猫好きのS姉は、田んぼの中を自転車で走りながら、

  経済の祝福のために、神様に叫んで祈っているそうです。



  S姉は腕の良い、マッサージ師ですが、 

  お客さんの名前を「あいうえお順」に

  「イエス様、〇〇さんからお仕事がくるようにお願いします。」

  と、自転車を運転しながら叫ぶのだそうです。

 
  すると、叫んだ人からお仕事が来るんだそうです。

  ある時は、5人の方からお仕事がきました。
  
  主は真実な方です。



  自転車に乗って叫ぶ祈りは聞かれると証しておられました。






なつかしい顔です。

教会のT姉のとなりはS姉です。お友達です。

  教会に来られたのは5年ぶりくらいですかね。

  相変わらず元気でした。

  少しお痩せになったかもしれません。



  S姉は福島県いわき市にお住まいです。

  今回の東日本大震災で被害を受けられました。



  礼拝にきてくださり、

  礼拝後に、厚木教会で学んでいる

  秋元牧師の「御声に聞き従う 第2章」を購入されました。

  東京アンテオケ教会に行く準備だそうです。
  たくさん質問されました。
  14年周期には驚いておられました。


  モーセ牧師の使っている秋元牧師サイン入りの本も

  持っていかれました。
  

  牧師はまたサインをもらうといっていました。

  感謝です。



走行距離が88888になりました。

この前に77777だったのに、いつのまにか1万キロ走行していました。


  この教会車両は、毎週毎週礼拝にかようために、用いられています。
  走りこんでいますが、祈りこまれていもいます。

  「交通事故にあわないように」

  「事故を起こしたり、起こされたりしないように」

  そして、

  「おまわりさんに捕まらないように」???

  神様がいつも、守ってくださっています。感謝です。



万座温泉物語

家族旅行に万座温泉に行きました。
夏の旅行にお父さんがいけなかったからでした。

温泉はとっても良くて、ゆっくり休む事ができました。
それから、偶然もと送料の上田さん夫妻にあいました。

また、旅館の夜のイベントで、
岩淵まことさんご夫妻の歌を聞きました。

岩淵さんはクリスチャンです。
仙台市出身のシンガーで、CM[ソングや、ゴスペルなど多様な音楽活動をされています。
横田めぐみさんのお母様の「コスモスのように」
                    歌など作曲されています。
                     「ぺんぺん草のうた」や「北上夜曲」を聴きました。

  お母さんが気に入ってしまいました。
  本を買い、中野ゼロホールのコンサートにいくと
  言っています。
                     感謝です。
                                        



白根山に登りました。

白根山の火山湖です。
お母さんにきいたら、以前と道が変わったといっていました。

 以前は、道も良くて近いルートで、
 白濁した湖が以前は、目の前にみえたのだそうです。
  硫黄ガスがでて、危険なのでルートを変更したようです。
  急な斜面をジグザクに登りました。
  おかげで、見晴らし台まで、急な山道を30分歩きました。
  小さい頃から足の具合が悪かったお母さんが、
  歩けるようになってから、
  初めて白根山に登りました。
  杖は、他の人と同じように使いました、
  問題なくすいすい歩けました。

  お母さんの足の手術は、奇跡です。

  東京のどの大きな病院も、
    ”動けるなら手術はしない方が良い。
    その年なら、手術は危険だ”
    と、手術をストップする意見ばかりで、
  そして、その専門家の言葉に従っていました。
              
  しかたがないと、車椅子を用意し、更に不自由になる足をかばいながら生きてきました。
  
  ところが主の時が来たのです。
  いい病院が海老名市にあると電話がきました。
  どういうわけか、診察を受けたいという思いが来て、すぐに電話しました。

  病院は、毎週行く教会の通り道の、いつも朝食を食べるマックの近くにあったのです。
  これは、主の導きではないかと思いました。
  
  診察をうけたら、
  「なんでこんなになるまで我慢したしたのですか。手術をしましょう。
   私達はあなたのような人のために、この病院をつくったのです」
  と3人の先生が、診察をして話してくれました。

  こんなに言ってくれた先生は初めてでした。
  手術をお願いしたい気持ちで一杯になり、すぐにお願いしました。             
  教会の方々が、一生懸命祈って下さいました。
  そして、主がお医者さんを用いて、いやしてくださいました。
  いまは、今までみんなとしっしょにいけなかったところを
  一人で歩いて行けるようになりまっした。

  なんと、今は、自分の娘の嫁ぎ先の農家の畑仕事も手伝っています。
  そして、先日娘さんもイエス様を信じました。

  「イエスは彼が臥せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。
  『よくなりたいか』」 ルカ5:6

  いやしは、すばらしい、恵みです。主に感謝します。

  


礼拝のあとの昼食会

毎週礼拝の後で、昼食会を開いています。

  S姉はシャケのおにぎりが大好きです。

  T姉は赤飯のおにぎりが大好きです。

  毎週食べていますね。
  Ⅰ姉は、毎朝、梅ぼしの、赤しそを刻んでつくったおにぎりを食べます。

  梅干は、毎年、モーセ牧師のお母さんが庭の木から取れた
  梅でつくっています。

  H姉は素敵な木の皮でこしらえた弁当箱におにぎりと、
  ゆで卵をいれてもってきます。
  昼食が終わったら、祈り、賛美の練習、御声に聞き従うの学びと続きます。


 

車のナンバーの数字が気になります

モーセ牧師は、勤務先に関係で、車のナンバーをいつも気にしているそうです。

最近は、ナンバープレートの希望制度があり、
自分の好きなナンバーを申し込むことができます。

聞くところによると、品川ナンバーは、高級車が多いのだそうです。
でも、
軽自動車も品川ナンバーがあり、東京都の島は品川ナンバーだそうです。



モーセ牧師の教会車は、
練馬ナンバーで
「マツダデス・ベンツ」
だと聞きました。
そんなのあったっけ?

モーセ牧師は、自分の教会車両について

『黙示録に出てくる4頭の馬に関係しているナンバーで、
終わりの時代の復興ローマ帝国である、EUの加盟国である
ドイツの「メルセデス・ベンツ」に似ている車で、
タイヤが4つある。値段が違うけど…。

ベンツのマークは三位一体を現わしている。
マツダデスのマークは、天使の羽を意味している。
だから、今は終わりの時代が近づいている。
この様なしるし(マーク)がでているし、自然災害や戦争など聖書どおりだ』

とコメントをしていました。
当っているような、いないような?本当かどうか疑問です。
吟味が必要ですね。

やすらぎの歌11集のCD録音です

詠美姉妹の曲「すべての日々に」がやすらぎの11集に採用になりまして、



  荒地に川ミュージックで録音することになりました。

  みき子姉妹は、慣れていますが、

  詠美姉は初めてです。

  自分の曲ですが、歌詞を間違えていました。

  結構緊張していました。ご苦労様です。
  録音って、のどが渇くんですね。
教会の賛美隊の働きも前進しています。

  S牧師!CDのアレンジよろしくお願いします。
  差し入れしましたからね。

  CDは、11月20日発売です。



エルサレムの平和のために祈れパーティー

エルサレムの平和のために祈れの集会が
  厚木市で行なわれました。
  聖霊に満たされた良い集会でした。
  TLCCC厚木教会でもお手伝いしました。


  そのため、
  主催者の キングオブグローリ教会の
   ジェニー高山牧師から招待をうけ

  日曜日の午後、パーティーがありました。

  とてもおいしい、フィリピン料理をいただきました。

  ダイを焼いて、あんかけ風に食べていました。

  ジェニーさんの手作り料理です

  それから、電話でジェニーさんの御主人の生声も聞きました。
  すごくやさしそうな声でしたよ。
  教会に来てくださいね。お顔を拝見したいです。

  お礼に、みき子姉妹が、

  やすらぎの歌から「この方こそ」「ミラクル~奇跡」を賛美しました。

  ジェニーさんが好きな歌です。




説明を追加

礎の石孤児院の働き

学生さんのサークル活動(GCMP)で礎の石孤児院の働きについて講演がありました。


  木原副理事長が講演し、学生さんたちがそれを聞いて、

  自分たちが何ができるかグループごとに討論して、発表し、木原副理事長が講

評するという 非常に真面目な活動でした。
 
  Facebook で参加者を募集していたり、ポストイットを使って
  意見を書き、分類して、考えをまとめたり

  これってサークル活動?という感じで
  真剣でしたね。びっくり  
  上海からの中国人留学生やロシア語を学んでいる学生などいろいろな大学の方が

  いらっしゃいました。
 

  自分たちが個人の子ども達に何ができるのか、
  個人、会社、政府の各段階でできることを
  話していました。

  討論の訓練、まとめる訓練、発表する訓練になりました。
  次世代の日本の若者も真剣でした。
  感謝します。

  【NPO法人 礎の石孤児院】
   http://www5.ocn.ne.jp/~ishizue/

みむね兄の特別賛美

みむね兄は、毎回特別賛美をしてくれています。

  「主イエスのうち傷によって」が、なかなか良いんです。

  お父さんも一緒に歌っています。
  お父さんもギター弾けますしね。
  教会ではあまりやりませんが…
  賛美の何か特訓をしているそうですね

 みむね兄は新しい歌もどんどんチャレンジしてやっています。
歌う時に、足を開いているのがちょこっと、木になりますが
率先して手をあげて賛美しています。
教会の賛美の練習のときに呼吸法など頑張って練習しています。
犬の呼吸ができないとか言っていますが、楽しそうです。

  また、いつの間にか、教会のタイムキーパーになっていて
  「次は何?、お祈り、ご飯、御声の学び」
  と積極的に声をかけてくれています。

  御声に聞き従うの本を読むのも上手です。
 難しい漢字も大丈夫です。
                  そして、一番先に質問します。

                     「国分寺ってどこ、遠い?」

 
  モーセ牧師は、毎回鋭い、
 的を得た質問に、たじたじです。

  えーと… (^‐^;)
   

詠美姉の特別賛美

詠美姉は、たくさんの賜物をもっています。

  賛美、漫画、御霊も賜物などです。
  なにより人にやさしいしね。

  賛美も、
  ギターやドラムができます。
  しかし、教会にはドラムセットがありません。
  どうしましょうか神様、感謝します。

    特別賛美は「さくら」が大好きです。
    神様に賛美しなくなった御主人のことが思い出されるそうです。

   今、健康づくりに頑張っています。
   神様は詠美姉妹をすこやかにしてくださるように祈ります。

白馬感謝と賛美のリバイバルキャンプ

教会車両を出しての、厚木教教会のチーム派遣となりました。

中心は女性軍です。強力です。
大きい車がいいといっていました。

モーセ牧師はドライバーです。
開会聖会の司会もしました。

ハンさんたちのロスチームも参加していました。
アンニョンハセヨ~♪

賛美大会では、懸賞品に自動車のプレゼントがありました。

ラスポーザはとても良かったのですが、総合で7位でした。
数字はいいですね。7で・・・カンサハムニダです。

車もらえなかった。
残念です。


2011年8月7日日曜日

待ち臨んでいる人たちの救い

ヘブル8:28
「彼を待ち望んでいる人たちの救いのためにこられるのです


イエスキリストは、幕屋で何度もいけにえをささげる祭司としてではなく、ご自分をいけにえとして神にささげ、人々の罪を購うためにこられました。

イエスキリストはご自身の血によって、ただ一度まことの聖所に入り、永遠の罪のあがないを成し遂げられたのです。

ですから、イエスキリストの十字架を信じるものは、永遠のいのちを受けることができるのです。
イエスキリストは、この新しい契約の仲介者です。

イエスキリストを信じる私たちは罪が購われたのですから、古い契約の違反が取除かれたので、今度は、神に召された者として永遠の神の国に入ることができます。

そのために、イエス様は再び来られます。
私たちは、罪赦されて、神の国の相続者としてふさわしいものに変えられながら、イエス様の再臨を待ち望んでいるのです。

新しい契約と言われた

ヘブル8:13

「神が新しい契約と言われたときには、はじめのものを古いとされたのです」

エレミヤ書31章31節からは、神が新しい契約を結ぶことが預言されています。
新しい契約とはイエスキリストの十字架による罪のあがないと救いのことです。

古い契約とは、旧約聖書の律法を守ることによる祝福でした。しかし、律法は重要ですが律法を与えられたイスラエルの民は守ることができませんでした。

また、字面を守っていれば良いのではありません。
ポイントは、信仰です。神を信じる信仰です。

神様は愛の方ですから、守れなかったイスラエルの民にも、私達すべての民族にも良いものを用意されたのです。新しい契約です。

新しい契約は、律法という文字に書かれたものを、学んで守るのではなく、私たちの心に書き付けることをされました。
私たちは、神様に心を向けたとき、私たちの思いに神様が働き、御言葉に従うようにされます。

それは、私たちの心に新しく書き付けられているからです。忘れないようになされたのです。
古いものが悪いのではありません。新しい契約は、古い契約を超えて祝福が伴うものです。

キリストのとりなし

ヘブル7:8

「キリストは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるからです」

イエス様は、メルキゼデクの位に等しい祭司と書かれています。
祭司は神様にお仕えする人です。

神様は、イエス様はとこしえに祭司であると誓われました。
神様の誓いは決して破られることはありません。永遠です。

イエス様は、永遠に存在され、生きておられ、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
ですから、イエス様を信じる、私たちを完全に救うことができるのです。

求める人は、いつも生きておられる、イエス様の御名によって祈りましょう。
1回ちょっと祈ったから終わりではなりません。祈りは続けることが大切です。

エス様が必ずとりなしてくださいます。
信じて必ずとりなしてくださると口で告白して祈りましょう。

もっと良いことの確信

ヘブル6:9
「あなたがたについては、もっと良いことを確信しています」

ペテロは、キリストの教えについて、成熟を目指して進みましょうと言っています。
信仰は成長するのです。成長して、神に近づいていくのです。

私たちは、神に似せて造られています。
神そのものではありませんが、神様にかたどられています。

つまり、私たちは神の祝福を受けるように、神に似せて造られたのです。
神様に従って進んでいくとき、私たちは神の恵みを受けるのです。

ところが、現実的にはいろいろな困難や問題が襲いかかってきます。
信仰の妨害があります。いわゆる「アタック」ですね。

しかし、このことは、神様がいなければ最悪ですが、神がいればこれは信仰のトレーニングです。
トレーニングは、厳しいですが、必ず助けがあります。
そして、トレーニングを終えると、もっと上の段階に成長するのです。

現実に負けてはいけません。
厳しければ厳しいほど、信仰に立ってください。
神が働いて、もっと良いことが起こるのです。

良い物と悪い物を見分ける感覚

ヘブル5:14

「堅い食物はおとなの物であって、敬虔によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です」

問題によっては、子供でも対応できるものがありますが、大人でなければ対応できないことが多くあります。特に複雑な、難しい問題はそうです。

しかし、大人であっても対応できない物も沢山あるのです。その時どうしますか?
クリスチャンは、御言葉によって対応します。

聖霊様が、問題があっても、事前にいろいろな形で示してくださいます。
聖書の御言葉によって、預言によって、祈りの中で、平安や不安、摂理、人を通してなどです。

例え問題は示されても、私たちが従わなければ、対応できないのです。従うことは重要なのです。
この時、敬虔、つまり、信仰によって良い物か悪い物かを見分ける感覚がポイントです。見分けて対応します。

この見分けの感覚は訓練できます。まず、聖書を土台に見分けるのです。
聖書に書かれているか、聖書的かどうかなどです。
そして、祈りです。祈って神様に聞くのです。

また、実際的確証があるかどうかも、重要です。
見分ける感覚、霊的な感覚を、信仰を通して訓練していきましょう。

今日御声を聞くなら

ヘブル4:7

「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」

創世記には、神様が6日間で世界を創造され、良しとされたとかかれています。
特に、6日目にはアダムとエバ、人を創造されて、非常に良かったと語られています。

そして、7日目に安息に入られました。6日までは夕があり、朝があったのですが、7日には夕があり、朝が書かれていません。

つまり、神の安息は、今も続いているのです。
ところが、この安息の間に、人は神を裏切り、エデンの園を追い出されました。

人の安息は、エデンの園にあるのです。神の国と言ってもいいでしょう。
しかし、私たちが、悔い改め、神を求めるならば、神の安息に入ることができます。

悔い改めた時が一番良い時なのです。
神は、安息を終わりにされていはいません。私達を待っておられます。

神の声を聞いたら、心を開き、神のもとに行きましょう。
神様はいつでも、手をひろげ、私達の来るのを待っておられます。

大胆に恵みの御座に近づきましょう。
今日がその時です。今がその時です。

忠実に治められる

ヘブル3:6

「キリストは、御子として神の家を忠実に治められるのです」
御言葉に忠実であることは重要なポイントです。
モーセは神の家全体に忠実でした。

イエス様は、自分を世に遣わした神に忠実でした。
神の言葉に忠実であることは、2つの意味で重要です。

第1は、忠実に神の言葉に従う者を通して、神様の計画が表されるからです。
神の言葉は必ず成就しますが、妨害もあるのです。

サタンは、人の思索や感情に働きかけて神の計画の実現を妨害します。
ですから、妨害にめげすに神の言葉に従う者は、主の計画の表れを見るでしょう。

第2は、神の言葉に従う者は神の守りと助けがあります。
神の計画は神が成就するのですから、御言葉に従う者は神が守られ、神が助けるの
です。

困難があっても、忍耐が与えられ、脱出の道も用意されるのです。
私たちが確信、希望による誇りを終わりまでしっかり持っていれば、私たちがイエス様が治める神の家になります。

聖霊が分け与えてくださる賜物

ヘブル2:4
「みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました」

イエスキリストの十字架による購いと救いは、私たちに与えられた恵みです。
これは、イエスが直接、ユダヤ人に語られましたが、弟子たちが伝えてくれました。

そして、神もしるしと不思議と様々な力あるわざにより証明され、また、私たちに与えてくださる聖霊の賜物によって証しされました。

私たちに分け与えられた賜物によって、福音が証しされるのです。
つまり、与えられた賜物を私たちが用いることによって、生きて働くイエス様のわざが現れるのです。
Ⅰコリント12章に、私たちは9つの賜物の一つ以上が与えられていると書いてあります。
主に従い、感謝して賜物を用いていきましょう。

私があなたを生んだ

ヘブル1:5
「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」



神は、イエスキリストを終わりの時代に遣わして、私たちの罪のきよめを成し遂げてくださいました。
神は、御子であるイエスを十字架につけるほど、私たちを愛してくださっているのです。

私たちが生きていることがそれ自体が、神の恵みであり、奇跡でなのです。
神以外には、私たちをこの世に生み出すことはできないし、神によらなければ私たちが命を全うすることもできないのです。

私たちの命は、神から与えれたものです。ですから、神からの一方的な恵みを受けているのです。
つまり、私たちは、神の恵みの中で生きているのです。

神の恵みによる命ならば、神の恵みによって生きようではありませんか。
御言葉に従い、神の恵みを常に受けながら、神に感謝しつつ、神の祝福を信じて生きていきましょう。

奴隷以上の者、愛する兄弟

ピレモン1:16
「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟としてです」




多くの方は、今の生活は望ましくないが続けて行くしかない、脱出できないと考えています。
オネシモもそうでした。奴隷ですから解放されることは絶対に不可能でしょう。
しかし、生ける神様がいるのです。

オネシモは他の奴隷と違っていました。
主を信じていたのです。主を信じて、囚人のパウロに仕えていたのです。

神様に従う時、人の目には不可能に見えても、変わるのです。
パウロはピレモンにオネシモを奴隷からの解放どころか兄弟として見て欲しいと言っています。

信仰は、生活を変える鍵です。
神を信じて、祈り続けていきましょう。

良いわざに励む

テトス3:8
「それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるため
です」


私たちは、私たちの救い主であるイエスによって、聖霊を豊かに注がれました。
それは、私たちが何か正しいことをやったからではなく、イエスキリストを信じたからです。

イエスキリストの恵みによって、義と認められ、永遠の命を与えられて、神の相続人となるためです。

私たちは、イエスキリストにふさわしい者となるために、信仰の訓練を受けています。
良いわざに励むとは、神の言葉に従って信仰の対応をすることです。

心がけると言うのは、続けていくことです。
心配しないあわてないで、神が遅れず働かれることを信じましょう。

神の言葉に従って、信仰の訓練を受けていきましょう。

健全な教えにふさわしい

テトス2:1
「しかし、あなたは、健全な教えにふさわしいことを話しなさい」



聖書は実に具体的に私たちに語っています。
例えば、老人たちには、自制し、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であること
年長の婦人には、敬虔で良いことを教えるように
若い婦人には、夫や子供を愛し、慎み深く、家事に励み、優しく従順であるように
若い人々には、思慮深くあるように
などです。

健全な教えである聖書を私たちの考えの土台にする必要があります。
なぜなら、聖書は誤りない神の言葉ですから、真理に従うことで、神の祝福を受けるからです。

また、、イエス様が十字架にかかられたのは、私たちをすべての不法からあがないいだし、良いわざに熱心なイエスの民をきよめるだからです。

神のことばは、私たちを神にふさわしい者に変えてくださいます。

口と行い

テトス1:16
「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています」

彼らと言うのは、神の前に不正な人々のことで、不信仰な人たちです。
反抗的で、空論に走り、人を惑わし、不品行とも書いてあります。

こういう人を見分けるポイントは、「行い」です。神の言葉を守るかどうかです。
自分を基準にして考えると、私たちは間違ったり、自分をつい甘やかしたりしてしまいがちです。

しかし、神のことばを基準にしたとき、正しいか正しくないかは、はっきり聖霊が語ってくださいます。
この時、祈りです。祈って神に聞くことです。必ず応えてくださいます。

神の言葉に従う時、私たちは、どんなに平安で、祝福に満ちたものかを体験することができます。

御言葉を伝える

Ⅱテモテ4:2

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」

ヨハネの福音書にあるように、ことばは、神とともにあり、神でした。
つまり、ことばはイエスさまです。

また、エペソでは御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさいとあります。
ヘブル書には神のことばは、生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く・・・とかかれています。
ですから、神のことばはそれ自体に力があります。神のことば生きていますので、神が働いてくださいます。
神のことばを宣べ伝えることは、神のことばの力のスイッチを入れることです。

時が良いか悪いかは私たちが判断することではなく、神が判断することです。
とにかく、私たち、機会があればは宣べ伝えることが大事ですね。

2011年7月12日火曜日

学んで確信したところに留まる

Ⅱテモテ3:14
「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい」



聖書は、すべて、神の霊感によって書かれたものです。
著者によって文章に個性がありすますが、聖書は、教えと戒め、矯正と義の訓練とのために非常に有益です。
そして、私たちが神の働きのために相応しく十分整えられた者となることが目的です。

今は、終わりの時代と言われています。困難な時代でもあります。
見えるところは、敬虔であっても、実際は神を第1とせずに、自己中心的な人がたくさんいます。

そして、学んではいますが、いつになっても真理を知ることがありません。
私たちは、真理に逆らう信仰の失格者にならないように気をつけなければなりません。

そのためには、神の言葉を学んでしっかりと腑に落ちるようにすることです。
そして、学んだ神のことばに立って確信したところにとどまることです。

自信のない人は、祈ってください。惑わしが多いからです。悔い改めれば、神は許してくださいます。
聖書から多くを学びましょう。、そして、確信をもったことから離れないようにしてください。

悔い改めて審理を悟る

Ⅱテモテ2:25
「神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう」



主のしもべである私たちには、争いは似合いません。
むしろ、反対する人たちを柔和なこころで訓戒することが必要です。

私たちはイエス様を信じて、義と信仰と愛と平和を追い求めています。
これらすべては、神によって持たされるものです。

私たちは、人に求めるのではなく神に求めるのです。
神のカバーに入るためには、まず、悔い改めが必要です。

神は正義の方ですから罪人の言うことはお聞きになりません。
ですから、神に悔い改めて罪の赦しを受けてから、祈りもとめることができます。

私たちが、へりくだって神に聞くとき、神が導いてくださいます。
神は、神を求める者を決して見捨てません。
罪人には悔い改めの心をあたえ、求める者には真理を与えてくださいます。

感謝します。

信仰の戦いと永遠のいのち

Ⅰテモテ6:12
「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠の命を獲得しなさい」


神様は私たちのすべてをご存知です。
楽しみも苦しみも悲しみも喜びも今まで起こってたすべてをご存知です。

私たちは、過去の出来事を変えることはできないし、未来も知りません。
しかし、神様に従って信仰の歩みを続けていくとき、すべてが益に変えられます。

私たちは、神様に信仰を育てられています。滅ぼそうとされてはいません
困難が起こりますが、神がそれを許されたのなら、それは、意味があることです。

私たちは、神様に期待して、信仰の対応をしていくのです。
れが、日々の信仰の戦いです。

戦いで得るのは神の勝利です。私たちは、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和が戦利品です。

老人を敬う

Ⅰテモテ5:1
「年寄をしかってはいけません」

モーセの十戒の中に、父と母を敬いなさいと書かれています。
それは、神が与えられた土地で、長寿であるためですとその理由も書かれています。
父母を敬うことは、命を全うするために重要なことなのです。

神様と私たちは、父と子の関係です。
この関係は、信仰の土台です。
神様に聞き従うことにより、私たちは恵みを受け、平安にすごすことができます。
ですから、神を恐れ敬うことは私たちの人生の方向を決める非常に重要なことなのです。

父や母を敬うことは、命を受け継いだ私たちが、命を全うするために重要な戒めなのです。

年をとってくると、力が衰えたり、体が弱くなってきます。
若い人は、そのことがどんなに不安なことなのかを理解しないまま、自分の尺度で判断しがちです。

年寄りの言葉に謙虚に耳を傾け、不安を共有しましょう。
神様は、愛の方です。そして、老人であろうが、若人であろうが、男女の別なく公平な方です。

老人をしからないで返って敬いましょう。

今のいのちと未来のいのち

Ⅰテモテ4:8
「今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、全てに有益です」



私達は、今の人生が主の祝福に満ちたものであり、また、この後、永遠の命を受けていく者です。
この時に、重要なポイントは、敬虔、つまり、神を恐れ敬う信仰です。

信仰とは、神を信じ、神のことばに従うことです。
神のことばを握って、しっかり立っている時、全てが益に変わります。

失敗だったと思われることが、返って、成功の元になり、悪いことが起こったと思われたことが、返って、そのことのゆえに救われることがあります。
神のことばは、逆転の勝利の鍵です。

神のことばに従って、今も、未来も主の祝福を受けていきましょう。

神の家とは生ける神の教会

Ⅰテモテ3:15
「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です」




イエスキリストは教会のかしらであり、教会はイエスキリストの身からだです。
そして、私たちは、イエスキリストの身からだの一部です。
教会は単なる建物ではないのです。教会は神の家です。

エペソ書1章には、教会はキリストの体であり、教会にはキリストが満ちていると書かれています。
教会につながることは、生ける神キリストにつながっていることです。

教会に行くことは、とても重要な意味合いがあります。
つまり、キリストの守りの内に入ることであり、キリストの恵みを受けることです。

教会には生ける神のみわざがあらわれ、神の真理の土台です。
ですから、すべての働きが教会を土台として行なわれる必要があります。

教会を土台として働きが行なわれるとき、生ける神の栄光が現れるのです。
教会観をしっかり持ちましょう。