2010年10月25日月曜日

チェアンムリ教会と尾山令仁牧師 

 韓国宣教チームが派遣されました。

懐かしい、鄭さんと会うことができました。最初から最後まで一緒にいてくださったということでした。本当に歓迎してくださりありがとうございました。

 本当は、モーセ牧師が行きたかったといっていました。残念がっていました。きっと次回は、鄭さんにお会いすることができますね。その時は、韓国語も話せるようになっていて欲しいと思います。

 さて、K牧師チームでは、最初に1919年の「三・一独立運動」について、華城市のチェアンムリ教会にいきました。今年は、日韓合併100周年ですが、当時、韓国の独立運動は当然の要求でしたでしょう。日本側は軍隊で鎮圧したそうです。悲劇的な事件も数多く起こりました。
 その中で最も有名な事件が、チェアンムリ事件です。日本軍が、約30名の住民を教会に閉じ込め放火した事件です。

 その話を聞いたとき、愕然としました。戦時中ですから、非道も沢山あったでしょう。しかし、重大なことは、日本人が全く知らないということです。事件を知らなければ当然、悔い改めもありません。韓国では、繰り返し教え、日本では全く教えないということが、今も続いています。

 そんな中でも、尾山令仁先生が戦後、チェアンムリ教会の再建のために私財を提供したことも知りました。韓国では「許そう。しかし忘れない」ということが言われているそうです。

 確かにイエスキリストの十字架だけが、和解の絆ですね。イエスキリストにある平和が私たちの支えです。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しあいなさい」 ヨハネ13:34
 

2010年10月16日土曜日

礎の石孤児院のサポート

 ザンビアの桜子姉妹と光君、ヨッシーと礎の石孤児院の活動をサポートして下さっているWS21さんに挨拶に行きました。会長室で会長とKさんにザンビアの現状をお話しました。お二人は一度ザンビアに来られ、孤児院の現状を見てくださった方々です。
 丸24時間かけて、日本から南アフリカ経由でザンビアに来られました。相当大変だったと思います。皆で造ったゲストハウスに宿泊され、子ども達の様子をご覧になり、孤児院のために寄付をしてくださいました。
 ザンビアの孤児院は、子ども達を受け取るだけではなく、学校を建てたり、鶏をかったり、野菜をつくったりして、自立的施設となってきています。
 また、学校は地域の子ども達が勉強しに来たりしていて、日本風に言えば地域の活性化に貢献しています。貧困と一口で言っても、何にもなりません。地道な活動が、子ども達に命と希望を与えているのです。
 現地の生活は、大変です。桜子姉は口にはいえない苦労をしていると思います。そして、ビジョンをもっています。
 主の守りがありますように、更に、経済が祝福されますように祈らざるをえません。 

O君Mさんの結婚式

 O兄とM姉の結婚式が、東京アンテオケ教会で行われました。御親族の方や御友人の方が沢山おいでになりました。久しぶりの結婚式だったので教会も一気に華やかになっていました。

 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる」 エペソ5:31

 結婚は奥義です。これは、キリストと教会と同じです。キリストは教会の頭であり、夫は妻の頭です。ですから、妻たちは、主に従うように夫に従わなければなりません。これは、聖書の秩序です。実態と違うと御不満を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、神は愛のかたですから、夫となる方にも、御言葉が与えられています。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のために御自身をささげたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」 エペソ5:25

さらに、夫には御言葉が続きます。

「夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛するものは自分を愛しているのです」 エペソ5:28

 一心同体の意味は、一つのこころと一つの体ですね。夫と妻は、心を一つにして、自分の体を愛するように愛し、愛されて、キリストの愛を現す者たちですね。

感謝します。

2010年10月11日月曜日

中等学校の文化祭

 礎の石孤児院の働きに協力して下さっている中等学校の文化際に行きました。毎年、木原副理事長の講演会が開催され、学生が作成したパネル展が行なわれます。

講演会は、3年生が参加してくれます。以前は女子のみの学校でしたが、数年前に男女共学となり 今は男子の比率がかなり多くなっているようでした。

学生の多くは、自分の人生に希望と不安が交錯しているともいます。私もそうでした。自分の人生の意味に結論が得られないまま、むしろ、結論を先送りにしながら進んできたように思います。

 しかし、自分の意味を考えることさえゆるされない子ども達がいることです。命があり、自分が人と同じであることが当たり前ではない子ども達がいることを知ったとき、命の意味に触れることになるのではないかと思います。

 孤児院の子ども達は、遠く離れた私たちにも問いかけてくれています。

 「真理によって彼らを聖め分かってください。あなたのみことばは真理です」ヨハネ17:17