2011年5月28日土曜日

喜んで与える人

Ⅱコリント9:7「喜んで与える人を愛してくださいます」


神様は、いやいやだったり、強いられてだったりではなく、心から与える人を愛して下さいます。

神様が愛してくださるということは、神様が祝福してくださるということです。

与える人が祝福されるのです。与える人は、与えたものが無くなるのではありません。

もっと素晴らしい神様の祝福をいただけます。
神が愛してくださっているからです。

ブーメランのように戻って来るのですね。

感謝ですね。

平等になるのです。

Ⅱコリント8:14「こうして、平等になるのです」


平等というと平均して同じと言うように考えます。
みな同じだから区別がないとも思います。
だから、平等はよいことだと言うわけです。
確かに神様の前では、私たちは区別なく皆平等です。
聖書では、あなた方の余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなた方の欠乏を補うのですと書かれています。

余裕のある人が欠乏している人を補うことにより、平等になるのです。
平等になるためには、始めに欠乏を補い合うことが必要です。
余裕はお金や物だけでは、ありません。心や思い、そして、祈りがあります。

欠乏を補いあって、神様の前に平等になりましょう。

2011年5月25日水曜日

世の悲しみのもたらすもの

Ⅱコリント7:10「世の悲しみは死をもたらします」
私たちには悲しい事柄がたくさん起こります。
神様が私たちに悲しい事柄を起こすのですから、それは、私たちの益となるためなのです。

しかし、私たちに神様がいなかったら、その悲しみは、悲しみのままでしょう。
ひょっとしたら、悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
世の悲しみは死をもたらすものだからです。

私たちの悲しみが、神様のみこころの悲しみであれば、その悲しみの中に神様のご計画があります。

それは、悲しみですが、私たちの信仰をたてあげ、かえって祝福に導かれます。

悲しい事柄が起こっても、感謝して信仰の対応をしましょう。
主に従う時、主が全てを益に変えて下さいます。

今日の御言葉をはじめました。

コリント人の手紙第二第6章16節
「神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。」

私たちは様々な困難の中にいますが、神様の助けがあります。

偶像に頼ってはなりません。神と偶像は反するものです。

私たちの内側には聖霊様がおられますから、私たちは神の宮です。
私たちは神の宮で聖霊様がおられるところですから、必ず神様が守ってくださいます。

偶像はどんなものでも避けて下さい。

神様の助けの時が、必ずありますから、忍耐強く神の言葉に従って進んで行きましょう。

2011年5月15日日曜日

東日本大震災名取市の被害状況

5月12日に宮城県名取市に行きました。
テレビで津波被害をみていたのですが、現実のすごさに圧倒されました。

それは、胸が苦しくなり、息ができなくなるような何ともいえない状況でした。
何もかも津波によって流されてしまいました。

舟や自動車、何もかも流されました。


かろうじて残った家は、窓が全て破られて、空箱のような状態で、大量のゴミが引っかかっていました。

それをみた時、これが自分の家だったたらと思うと、声が出なくなりました。

あちこちに、何か、当たり前のように舟が転がっているのです。

壊れた自動車は、空き地に何百台と山済みにされ、片付けきれない自動車が取り残されたように何台か畑にうまっている感じでした。

まだ、多くの人が見つかっていません。
名取市は、非常に平らな場所で、高台がなく、津波が押し寄せてくるなどとは誰も想像できないような土地でした。唯一の高台が、高速道路だったのです。

津波の避難訓練などたぶん想定していなかったのではないでしょうか。
平らな土地に残され物は、ビニールハウスの残骸でした。

何代にも渡り、土地を改良して、農作物を植えることができるように地道な取り組みをしてきた場所だそうです。その土地が、海水をかぶり、瓦礫がのこされているのです。

地震も怖いですが、地震後の火災が関東大震災の特徴でした。

東日本大震災の特徴は巨大津波でしょう。
その破壊力は、大火事をはるかに超えています。

自然の驚異に対して人に何ができるでしょう。

ただ祈るしかありませんでした。そして、前を向いて踏み出すしかないのです。

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことは産みの苦しみの初めなのです」 マタイ 24:7-8

2011年5月7日土曜日

農作業を体験しました

連休に実家に帰りました。父親が入院しているのでお見舞いも兼ねていきました。

大渋滞に巻き込まれ、東京から9時間かけて新潟に着きました。
こんなにすごい渋滞は初めてですので、さすがに疲れました。

しかし、感謝しました。この渋滞の裏に神様の計画があると、車の中で感謝し賛美し、賜物の実践の訓練をしました。霊的にすっきりしていくのが分かりました。


さて、実家では、さっそく母親の手伝いをしました。
それは、農作業です。苗を植えるために畝を作る作業でした。一人では大変な作業だということです。

日焼けするといけないので、完全武装しました。勇士の姿です。

農作業の前に体を動かし、いよいよ鍬を手に持って農作業をはじめました。

「誰でも手を鍬につけてから、後ろを見るものは神の国にふさわしくありません」(ルカ9:62)

とありますから、後にはもう引けませんね。

それでもって、うまれて、はじめて畑をたがやしました。
どうですか、本格的でしょう。やはり勇士です。
やると決めたら、本格的にやらなければいけませんね。
中途半端はだめですね。

実家からは、山菜など春の恵みを沢山もらってきました。
梅干も母親の手作りです。

父親は入院していたので、癒しの祈りをしました。
体が熱くなったといっていましたので、主が働いていることが分かりました。

「父と母を敬え」(出エジプト記20:12)とありますが、

聖書にあるとおり
父と母を大切にしなければならないとつくづく思いました。